VOL.01
KASHIWA SATO×EXILE HIRO
より多くの人へ今のLDHの想いを発信するべく、今月より新たにスタートするEXILE HIRO連載『LOVE DREAM HAPPINESS』。第一回目は、クリエイティブディレクター・佐藤可士和氏とEXILE HIROによる対談が実現。ふたりの距離は、LDHのロゴデザインをEXILE HIROが佐藤氏に依頼をしたことから交流が始まり、最近では『STOP FOR NOTHING』プロジェクトでもタッグを組んでいる。今回はふたりの出会いやロゴ制作や『STOP FOR NOTHING』にまつわる裏話、またおふたりにとっての「LOVE」「DREAM」「HAPPINESS」とは何かなど、さまざまなことを聞いた。
SC_ photography_KEI OGATA(No.2)
hair&make_KUBOKI(Three PEACE)[EXILE HIRO]
text_Kei Osawa
edit_Keisuke Kamei
KASHIWA SATO × EXILE HIRO
Special Talk Session

─まずはじめに、おふたりの出会いやお互いの印象から伺えますか?
佐藤可士和(以下佐藤):最初にお会いしたのは確かパーティでしたよね?
EXILE HIRO(以下HIRO):そうですね。お会いする前は、堅い感じの方なのかなと思っていましたが、実際にお会いしたらすごく話しやすくフレンドリーに接していただき、とても印象に残っています。
佐藤:僕もすごく楽しかったことを覚えています。こちらからしたら当時から大活躍のアーティストという印象があったのですが、真摯な方だなと思いました。
─佐藤可士和さんがLDHのロゴデザインをされましたが、どういったきっかけで制作されたのですか?
佐藤:HIROさんからLDHのロゴデザインを制作してほしいと連絡をいただいたのですが、最初にお会いしたときとロゴのデザインの件でお会いしたときでは、印象がまた違いましたね。
HIRO:可士和さんにお仕事を依頼するときには、自分たちにとって大きな出来事というか、重要な案件のときに頼みたくて、会社のロゴを変えるタイミングで初めてお仕事を依頼したんです。覚悟がいることだったので、普段とは少し違っていたかもしれません。
佐藤:HIROさんから仕事をいただくとは思っていなかったので、正直驚きました。「どうして、僕に依頼してくれるんですか」と聞いたら、そのときも「ロゴを作るなら可士和さんしかいないと思って」と言ってくれて。僕の仕事ぶりを見てくれていたのかなと思うと、本当にうれしかったです。
HIRO:ロゴを依頼させていただいた当時は、LDHの転換期であり、グローバルマーケットに向けてLDHのエンタテインメントを展開していきたいと思う一方で、日本人としての魂や誇りを持ちつつしっかりと地に足を着けて世界に挑戦していくという、宣言的なロゴにしたいと思っていたんです。可士和さんは、そのような想いを具現化してくださる方だと思っていましたし、事務所の名前も「SAMURAI」じゃないですか!? 常に日本人としての誇りを持っていて、LDHが世界に挑戦する宣言のタイミングでは、やはり可士和さんしかいないかなと、自分のなかではずっと思っていました。
佐藤:ありがとうございます。僕はいろいろな企業のブランディングの仕事を担当していますが、ロゴのデザインは僕のなかでも特別な想いがあります。企業にとってもロゴはとても重要なものですから、そんな大切なものをHIROさんが僕に託してくれたことが純粋にうれしかったです。そして、LDHの具現化したいヴィジョンが明確にあったので、素晴らしいなと思いました。
HIRO:可士和さんにそう言っていただけるとうれしいです。僕らは熱い気持ちを込めて、自分たちの思いを話しましたが、可士和さんはそれを受け入れてくれるだけでなく、同時に多くの選択肢を与えてくれました。僕自身、お話を重ねるたびに、自分たちの気持ちがどんどん高揚してくるのがわかるんです。これまで手掛けてこられた作品の素晴らしさはもちろんですが、可士和さんがどうして多くの方から信頼されているかが、一緒にコミュニケーションを取らせてもらううちにわかりました。ひと言で言うと“頼りがいがある”。今回のロゴを頼んだときにいちばん感じました。
─ロゴデザインを作るうえで意識したことはありますか?
佐藤:ロゴが決定するまで何案か作らせていただき、HIROさんのヴィジョンを一度デザインに落とし込み、ディスカッションしながら整理していくという作業を行いました。ポイントとなる “輪”のモチーフは、かなり最初の段階からイメージしていました。というのもLDHが大事にしている“繋がり”というメッセージが、“輪と和”に入っているので、以前のロゴをリスペクトしながらも、よりシンプルに削ぎ落としたものにしたいと思っていました。
HIRO:僕は日頃から「チームの輪」とか「繋がり」を意識してメンバーと接していたので、可士和さんと直接お話しをさせていただく前から、LDHといえば“輪”が浮かぶと感じていたという話になったときは、すごいなと思いました。
佐藤:HIROさんはダイレクトに言葉にはしませんでしたが、HIROさんとの会話のなかで、仲間を尊重する言葉がたくさん出てきたからだと思います。そして重要なのは形よりストーリーと言いますか、ロゴを通してHIROさんの、そしてLDHのヴィジョンを語っていくわけじゃないですか。企業のロゴは、もちろん形も大事ですが、自分たちの想いを込められている事が最も重要です。これから新しく入ってくるメンバーや社員に対して、こういうコンセプト、こういう意味合いを持ってロゴを作ったということを伝えることがブランディング上とても大切です。
HIRO:こちらとしても、パワーのこもったロゴが完成してすごくうれしかったです。
─話は変わりますが、未来の世代の無限の可能性を応援するプロジェクト『STOP FOR NOTHING』はどのような経緯で始動したのですか?
佐藤:国立新美術館で『佐藤可士和展』を開催することになり、僕としてもLDHのロゴは大事な作品なので、HIROさんに展示をさせてくださいというお願いにあがったところから始まりました。デザインというものを社会に対して新しく発信する場だったので、HIROさんとも何かご一緒できたらと思い、僕の方から話をさせていただきました。そこから盛り上がっていきました。
HIRO:これもすごくありがたいお話で、自分たちが大切にしている子どもたちに夢を与えるという部分に、可士和さんも強く賛同してくださったので。東京都立川市『ふじようちえん』を筆頭に、可士和さんが過去に手掛けてきた、子どもたちを支援するプロジェクトが本当に素晴らしいものばかりで、そこから『STOP FOR NOTHING』というプロジェクトが生まれました。そして、『佐藤可士和展』を開催するタイミングで形にすることができました。
─このプロジェクトには、どのようなテーマが込められていますか?
佐藤:元々、子どもたちに夢の後押しをしたいという想いがずっとありました。才能を秘めた子どもはいっぱいいると思いますが、特に日本は同調圧力が強い傾向にあり、少し飛び出ると抑えられてしまってすごくもったいないと思っていて。HIROさんや僕は、自分の特性を活かした好きなことを仕事にできているのだと思いますが、子どもたちにもそういうチャンスがたくさんあると思うんです。そういった想いから子どもの才能を応援してあげられるようなことをしようという話から生まれました。
HIRO:僕たちも『Dreams For Children 子どもたちに、夢を。』という社会貢献活動に取り組んでいますが、今回の『STOP FOR NOTHING』は、もうひとつステージを上げたような支援プロジェクトになる予感がしていますし、最高のスタートが切れたと思っています。プロジェクトのアンバサダーを務めるFANTASTICSも、夢に向かって必死に頑張るという意味では子どもたちと同じなので、彼らの未完成な部分が今回のテーマに合うんじゃないかなと思いアンバサダーに起用しました。
佐藤:FANTASTICSの皆さんにパフォーマンスをしていただき『STOP FOR NOTHING』というヴィジョンをカタチにできたと思うので、これから実装していけるといいなと思います。
─今回制作されたプロジェクトムービーも話題になりましたね。
佐藤:プロジェクトムービーを作らせていただいたのですが、その際、子どもたちのオーディションを開催したり、いろいろと調べて実際に会いに行き撮影をしました。ドローンの操縦や、数学、スケートボード、ダンスなどとにかくさまざまな分野で突出したすごくおもしろい子どもたちがたくさんいて、そういう子たちを見ているだけでワクワクしました。そして改めて思ったのが、特別な才能を持っている子どもをサポートしてあげなければいけないということです。現在の学校の教育はある程度、平等に同じ知識を与えるという事がベースにあります。当然それも必要なことだとは思いますが、その視点だけだと、どうしても飛び抜けた人のフォローができなかったり、才能をのびのびと開花させにくい環境になってしまいます。すべて学校に頼ってしまうのもおかしいので、それとは別に、何か才能を伸ばすようなプログラムやサポートが、社会として本当に必要だと感じましたし、そういうものがうまく機能しないと、出る杭が打たれるような世の中になってしまうと思うんです。今回映像に出演した子どもたちは、才能を伸ばせている子たちだと思いますが、やはり可能性が伸ばせていない子たちもたくさんいるのではないでしょうか。そういう子どもたちが、より育ちやすい環境が生まれたら、日本はもっと元気になるんじゃないかなと思います。
HIRO:本当にそうですね。あの映像を見て、子どもって改めてすごいなと感じました。才能溢れる子どもたちが、のびのびと育っていく環境を整えることは、素晴らしいことだと思います。『STOP FOR NOTHING』は、まさにそういったプロジェクトで、可士和さんと一緒に、同じ思いを共有できているので、できることからどんどん始め、子どもたちと積極的に触れ合いつつ、自分たちもエネルギーをたくさんもらって、子どもたちのためになるような、新しい環境を作っていきたいと思っています。
─最後に、おふたりにとっての「LOVE」「DREAM」「HAPPINESS」を感じるときはどのような瞬間ですか?
佐藤:難しい(笑)。まず「LOVE」といったら家族なのかなと思います。僕にとっては最小単位と言いますか、まずそこかなと。ちなみにHIROさんが思う「LOVE」「DREAM」「HAPPINESS」とは何ですか?
HIRO:「LOVE」は、本能でもあり、紙一重でもあり、自分が生きているときにものすごいエネルギーを感じられる感情や衝動だと思います。そして「LOVE」や「DREAM」は、「HAPPINESS」に辿り着くための原動力みたいなものなのかな…。もちろん、HAPPINESSにもいろいろな感覚があり、これが幸せだと一概には言えないかもしれないですし、その幸せに気付いていないときもあったりと…。しかし自分の感情のなかでは、些細なことでも幸せを感じる瞬間とかあるじゃないですか。お金持ちとか関係なく、平等にある幸福と言いますか、その幸せが繋がっていくそういう瞬間に人生っていいな、生きてるなと思う事が多いかもしれません。
佐藤:幸せを感じる気持ちや感動は大切ですね。それを作っていけたり、人に共有できたりすれば最高ですね。
HIRO:エンタテインメントを通じて、生きていることが幸せだと感じることのできるようなエンタテインメントをたくさん作って、多くの人に感じてもらいたいです。ちなみに、可士和さんにとっての「DREAM」は何ですか?
佐藤:「DREAM」は創り続けることですね。それがいちばん幸せなのかなって。
HIRO:自分も夢に向かって行動することで、幸せを感じる瞬間が増えています。夢を叶えられる場所をたくさん提供することで、いろいろな人たちの幸せや感動を自分も共有できる、それもすごく生きている意味を感じられますよね。
佐藤:感動体験と言いますか、心が震えるような瞬間、大人になると、どんどんそれが減るので、そういう意味で先ほどの『STOP FOR NOTHING』に戻ると、子どものときに心が震えたり、感動的なことをいかに体験するかが大事だと思うんです。僕たちはクリエイターなので、新たなエンタテインメントやヴィジョンを創り続けて、社会に提供していくということはすごく意味のあることだと思います。
HIRO:可士和さんにとっての「HAPPINESS」とは何ですか?
佐藤:本当の世界平和を「HAPPINESS」だと思いますね。子どものころは、戦争とは無縁だと思っていましたが、昨今の世界情勢は不安定で、今はミサイルが飛んでくることも考えるような状況になってしまいました。地球環境なども含めて、今こそ本気で平和について考えないと大変なことになると感じています。
HIRO:自分も若い頃は世の中で起きている事や世界で起きてる事に真剣に向き合うことなんか想像も出来ないくらい、平和ボケでしたね。自由気ままに生きてきたというか…、改めてこの年齢になってみて、今の時代、これからの時代には、具体的な危機感を感じるようになっていますね。僕らは50年後は生きていませんが、子どもたちは生きていますから。
佐藤:実際、僕らが若いときにあまり感じなかったのは、日本も高度経済成長期で、地球環境を今ほどみんなが認識できていなかったと思います。グレタさんが国連でスピーチをしたことが象徴するように、若い人たちも同じように感じていると思うんです。
HIRO:今はそういう時代であることを多くの若者達が感じる時代になったんでしょうね。僕ら世代の大人たちが今の時代のなかで、未来に向けて何を準備し、自分たちに何ができるかということを模索し行動する、リアルな行動力が必要になってきているのを肌で感じています。未来が「HAPPINESS」であるために、エンタテインメントは絶対に世の中の役に立つと思っているので、世間にさまざまなメッセージを発信していくことはとても大切な事だと感じています。エンタテインメントを創造し続けることで、未来への扉が開くと自分は信じています。
佐藤:未来は必ず訪れるものですから、少しでもよくするためにみんなで一緒にできたらいいですね。
プロフィール
佐藤可士和 Kashiwa Sato
(クリエイティブディレクター)
1965年生まれ、東京都出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。株式会社博報堂を経て2000年に独立。同年クリエイティブスタジオ「SAMURAI」を設立。ブランド戦略のトータルプロデューサーとして、コンセプトの構築からコミュニケーション計画の設計、ヴィジュアル開発、空間設計、デザインコンサルティングまで、強力なクリエイティビティによる一気通貫した仕事は、多方面より高い評価を得ている。グローバル社会に新しい視点を提示する、日本を代表するクリエイター。